子供はDNAの関係で親に似ると学校で教わった。
我が子がそうじゃないと知るのは、早かった。
あまりにも違いすぎる息子への理解が始まる。
違和感
大きくなるにつれ、他の子との違和感は増して行った。
しかし、不安はなかった。
皆んなと同じ事に興味がない。
例えば、ゲームや本、ボール。
言葉が話せるのに、友達と話さない。運動もしたがらず、公園は大嫌いな場所だった。
滑り台を滑る意味がわかないと言い、ブランコは漕げない。
砂場は汚くて臭い。
それに道具の貸し借りや、砂場で作った物を友達に壊される場所に何故好んで行かなければならないのかわからなっかったそうだ。
赤ちゃんでも やりたい事は人それぞれ
2歳半の時、彼の本気の訴えを目の当たりにする。何故公園には行かないのか。
それならばと、誰もいない公園に行った。
面白い遊具が使いたい放題で彼の理想にピッタリの遊び場を見つけたと確信しながら遊んでいた。
ブランコをこぐ練習も気兼ねなく出来るし、
息子も楽しそうな顔とまで行かなくともそこそこ満足している様子に見えた。
寒い冬の日、陽が落ちるのは早い。
車で40分ほどかかるその場所から帰宅すると、真っ暗になった。
家の中に入るないなや息子は公園の遊び道具を床にたたきつけ
「あーもう、今日はプラレールをする時間がなくなったじゃないか、お母さんのせいで」
と爆発した。
2歳半、時計の読み方がまだわからない息子はすでに寝る時間になったと思い込み、この言葉を発したと思われる。
しかし、この忘れられない言葉で私は目を覚ます。
公園を楽しいと感じない子供が自分の元にやって来たのだと別次元で理解した。
理屈ではなく、とにかくどうであれ面白くないんだと。
私(親)の場合
私は幼い頃から外が大好きだった。
ブランコの浮遊感、滑り台の疾走感、泥で作るお団子は私を料理人にしてくれた。
非日常の体感に心を奪われ夢中だった。
けれど息子はそうじゃない、考え方感じ方がまるで違う。
そんな彼に、私の面白さを自分の子供だからと言って無理強いし自己満足に変えていたと心底気づかされたのだ。
言い方を変えれば公園に行きたいお母さんに、ただ息子が付き合ってついて来てくれていたのだった。
親子でも
こんなにも自分と違う人間が生まれてくるとは思っても見なかった。
誰とも似ておらず、我が子の事が理解不能だった。
スイッチや本物の時計と電話に興味があり、オモチャはブロックとプラレールのみ。
友達の真似をしたり、子供番組の歌を歌うことも無かった。
世間が思う子供と言う生き物の種類から逸脱していた。
お子様ランチは大嫌いだし、遊園地にも行きたがらない。
ウルトラマの番組に
「ウルトラビームを早く使え、3分しか変身できないんだから」
とTVに向かって怒っていた。
「この子面白い」そう思えたから育てられた。
そうでなければ、この後来る様々な問題は越えられなかっただろう。
不安に思うと、子供を否定的に見てしまう。
「少し変わった子は変わった未来を歩むんだろう」
ぐらいに思っておいて丁度いい。
徳川家康しか将軍を知らない息子が、国立大学の博士課程に籍を置くのだから。
まとめ
- 子供のDANは、会った事の無いご先祖様と同じと考える。
- 親の夢や希望は、子供の夢では無いを早く理解する。
- 個性の尊重は赤ちゃんの時から。
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