与えられた才能

子育て

努力して成し遂げられる事がある

しかし、そうでない物もある。

それと同じで、才能があっても成し遂げられないことがある。

才能と心

息子はギフテッドに近い能力がある。

しかし、周囲がそれを認めなかった。むしろ、阻害し身体的に傷つけ葬り去ろうとした。

「俺は間違ってないし、頭がおかしい訳でもない」

そう言って学校に通い続けた結果、心を壊した。

彼の才能はロボットを作ったり新しいシステムを考えたりする事と思われがちだが

そうではない。

立ち向かう力だ。

喧嘩がめっぽう弱いことを自負し、発達性協調運動障害にも関わらず闘争心に溢れている。

心がそうさせる。

彼の中の弱者に対する優しさや生命への尊重が根幹となり、

世の中が悪い方へ進むのを阻止すべく立ち上がるのだ。

彼は言う「腐ってる場合じゃない。できることはまだあるし、終わってない」

才能の使い方

彼が社会的に弱者だった頃、友人の母が言った

「自衛隊に入って爆弾を処理するロボットを作る人になったらどう?」

学校の成績が劣っていても門戸が広い自衛隊で好きなことをしてみたらどうかと言う軽い提案に過ぎず

なかった。息子に、提案を話してみるとキッパリ返答された。

「そんなことは絶対にしない。爆弾を処理することは爆弾を知らなくてはならないから、爆弾を作る仕

事も出てくる。人を殺す物を作る人間にはなりたくないし、そんな人生を送る気はない。」

警察でハッカーを取り締まる仕事はどうかと問われた時も

「白ハッカーと黒ハッカーは紙一重なんだ。どうかすると、黒に陥ってる自分に気付けない場合もあ

る。それは怖いことだ。だから、やらない。」

思い出した。

ドラえもんの漫画を愛読していた息子。

のび太は出来ない事だらけのダメ人間と思われているがそうじゃない。彼の心は、誰よりも温かい。

自分と重ねたのだろう。

やってはいけない事がこの世にはあり、その事に加担して生きて行く人生を選択しない。

与えられた才能を誰のためにどうやって使うかどうかは本人の意志。

「俺の能力は、より良い未来のために使う。そう決めてるから。」

まだ、15歳の何者にもなっていないし何も成し遂げてさえいない息子の口から出た決意。

我が子に光を感じたのはこの時からだったと思う。

才能を信じて

「この時代に生まれて本当に良かった。今生まれたんじゃ俺の能力は発揮できなかった」

「イノベーションの進化がこの20年早過ぎた。」

まだ生まれて、25年。人生は始まったばかりの彼がそう言う。

息子が生まれた1998年に、パソコンが家にある家庭は珍しかった。それが、あっと言うまに

パソコンは一人1台所有となった。

物心着く頃から、彼はパソコンを独学で学び続けた。人知れず。

親は何もしていない、ただ信じていた。

この子は自分の好きな事で食べて行く子になると。

これから

世間は才能ある持ち主を誤解している。

生まれ持っての才能なんだから、楽してそうなれたんだと思いがちだ。

まず持って才能を持った者は、マイノリティなのだからだいたい嫌われる。

努力を妨害され、才能を潰したがる人達と戦う手間も出てくる。

それら全てを乗り越え、腐らず運が巡ってくるのを地道に待ち続けた者だけが

才能を開花させる事が出来る。

持たざる者に、この試練が想像さえできない事も知っている。

だから、才能の持ち主が寡黙になるのも当然だ。

「やるしかないんだ。出来るんだから。」

私の友人の息子は割と重い障害者で、コミニケーションも取れなければ身体も不自由だ。

そんな彼がリハビリを受ける姿を息子は幼い頃からみてきた。

「俺は、彼が幸せなんだろうかと幼い頃から考えてきた。それは誰にもわからない事なのに

笑ったように見えるからそうなんだとか、手を振り返したから愛してくれてるだろうとか信じている。

全てこっちが、そうだと思っている事に過ぎないんだよ。

だから、楽に暮らせるようにしてあげる事しか俺にはできない。」

自分の考えの甘さに気付かされた。

偉業や発明が才能なんかじゃない、こう考えられる事が才能だ。

きっと息子は、世の中を照らしてくれる事だろう。

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