友達は作るもの?

子育て


小学生になる前、友達は自然とできるものだと思っていた。
しかし我が子は違った。

友達が、全然出来なかった。

しかし、子供達なりの友達の定義を自分で見出した。
友達ってどんな人の事を言うの?

友達100人できるかな?

小学校入学前、息子にどうしても言いたかった事がある。

「友達100人とか絶対要らないし、無理に友達を作ろうなんてしなくて良いから」

長い人生、気の合う友達は幼少の頃にしか出来ないみたいな理論があった様に思う。
学生時代を共に過ごした者同士こそ真の友だと。

彼は、ちゃんと私の言葉を聞き入れた。
自分は自分。

この話をしたのは、周りに流されて作った友達が、自分の利益の為にやりたくない事をやらせる者だったり、自分の価値を高める為にわざと不器用な人を選び、友達として隣に置いておく者が一定の率でいる事がわかっていたからだ。

友達は、相手がどんな人か分かってからでも遅くない。
ノリや偶然で作っても意味はない。

裏切らない友達

ところが小学校に通う様になると

「裏切らない友達が欲しい

と言うようになった。
毎日、先生の言い間違いを指摘し正当な答えを求める彼の味方は誰も居なかった。
猫撫で声で先生の護摩をする女子生徒への、えこひいきも正直に訴えた。

しかし、周りの友達は

「止めておけ」

と言いダンマリを決め込むか、先生側についた。
息子は

本当の友達が欲しい

と言って来た。

娘は

親友ってどうやったらできるの?

と言った。
友人との間で信用が芽生え、その先に友達があり、またその先の大きな信頼とシンパシーの元に親友があると教えた。
あれから15年、親友は出来ていない。

それから

息子は高校で寮生活を送り、同じ釜の飯を食べた人達をちゃんと友達と呼ぶ様になった。
彼らは、息子がピンチの時、救い守ってくれたと聞く。
これからも、息子は友達を救い守ると言う。

一方娘は、友達さえ出来ない。
友人との間に、信用が産まれることはなくピンチは一人で泣いていた。
友達と言う者はクラスで一緒にご飯を食べ、カラオケに行きプリクラをとる者達を言うらしいと悟り、早々にグループLINEを抜けた。

娘は、私の友達と仲が良い。
LINEで繋がっている。
30歳も歳が離れているが、私抜きでご飯にも行く。
その関係は友達と言えるのかどうか分からないが
それでも娘の人生は充実している。

別に良い

私は、子供達の選択を誇らしく思っている。
どちらも、正解を自分自身で見出している所が立派だ。
一人になるのが怖いから、とりあえず、一応なんて失礼なことを友人にしていない。

私の知人が幼い頃仲間はずれにされた。
母親に相談すると

「人間ね生まれてくる時も一人、死ぬ時も一人なんだから一人に慣れておく事よ」

と言ったらしい。
さて、私はなんて言おうか。


得ることは失う事と表裏一体。
心底心通わせる友であっても、運命で別れなくてはならない事だってあるのだ。

人から頼られ、人生を笑顔で送れていれば大丈夫。
それが、友達と言う関係性でなくても。

まとめ

  • 友達は人数じゃない
  • 友達作りは人柄を知ってから
  • 友達が居なくても大丈夫。人格否定になったりしない。


コメント

タイトルとURLをコピーしました