人生の夢は子育て。
そんな日に、区切りをつけなくてはならない
全身全霊で向き合い、過ごしてきた日々のシフトチェンジに戸惑った。
自分の人生を考える
「子供達に手が掛からなくなったよね。」周囲のママ友から、そう言われた。
本当にそんな事ってあるんだろうか?
子供達は年齢的には大きくなったのだが、家で一緒に過ごしていると見えてくる
大きくなったら、なったなりの悩みや困りごと。
お金や生活の援助にしても、共同生活と思えば助け合わなくてはならない。
しかし、年だけは重ねていてお互い人生の持ち時間は確実に減った。
時間が経過したから、子育ては卒業なのだろうか。
20代の息子と50代の母。
私hが元気で色々なことに挑戦できる時間は、おそらく20年ちょっとであろうと考える。
しかし息子は、先のことなんて長過ぎるからとりあえず今を考えようとなる。
で、考えた。人生で自分が何をしたら、満足する人生だったと思えるのか。
今、決断をしなければきっと後悔する。
ただ、頭の隅では「親業」「介護」の言葉が染みつき私を縛り考えを制限する。
好きな事とできる事
「残り少ない人生、好きな事をしたらいいよ」
そんな言葉を言われることが多くなった。
家族最優先に過ごしてきた私には、自分の好きなことさえわからなくなっていた。
そこで息子に聞いてみた。
何故好きなロボット作りをやめて、違うことを勉強する気になったのか。
「好きなロボットを作っても、誰かの役には立つだろう。けれど、今この瞬間にも交通事故で亡くなっている人がいる。年間300人。この人たちを助ける技術を開発する方が先。それが自分にはできるんだから。」
この先の人生は自分の物。そこばかりに囚われいた自分が恥ずかしくなった。
未来の自分
新しい目標ができた。
「息子の足かせにならない親でいること。」
そのための体力作り、ボケ防止に取り組まなくてはならない。
今まで自分で出来ていた事ができなくなった時、どう自分で対処するかも決めておこう。
車の運転や、重い荷物を持つこと、遠い病院にもきっと行けなくなる。
このままでいられる自分を前提として考えていた人生は来ない。
20年で子供が育ったように、今度は私が20年で成長の階段を降りて行く。
それを、悟らされた。
残せる姿
10代の頃、父親を亡くした友達に言われた。
「私ね、あー満足だったこの人生って言って死にたいの」
考えたこともなかったこの問いに30年後答えが出た。
「もう頼むからゆっくりさせてください。」
と言って死にたい。
それは、死ぬ間際までも体が元気で、人のために役に立ちながら生きている証拠だから。
できる事ならその後「うちのばあちゃんはカッコ良かったんだぞ」と家族に言われていたい。
これから
進路は卒業する前に決めておくもの。
そんな通例をもろともせず3浪までした挙句、好きなことを好きなだけして過ごす娘。
子育ては卒業したが、進路未だ決まらずは娘と同じだ。
自分探しの旅は灯台下暗しだったりもする。
自己捜索はボチボチやるとして、とりあえずカッコイイ自分になるために筋トレを始めるとしよう。
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