困った。
息子の効率主義理論
息子は
自分の意見は間違いではないが、人を困らせるを知った
片付け
2階に客間がある。
2階から降りて来ない息子を心配して、様子を見に行った。
いつも使われていない客間はプラレールで敷き詰められ、おもちゃ王国と化していた。
「夕飯が出来たから片付けなさい。」
「嫌だ。だって明日も遊ぶし、この使っていない部屋を僕が使ってあげてるんだから」
小学校4年生の息子の客間と言う部屋の捉え方。
片付けの解釈。
何から説明すればいいのだろう。
使ってあげてる
「放置してある部屋に、僕が役立つ方法を見つけてあげたんだ。だって、誰も来ないし妹の邪魔にもならない。なんて良いアイデアなんだ!。」
廊下を繋ぐと、軽く10畳は超える部屋に足の踏み場に困るほどのプラレール。
何度言っても片付けをしない彼にお手上げだった。
「どんな理由よりも、自分の理屈は効率的だ」
息子は理解していないのではなく、自分の意見は間違っていないと自信満々なのだ。
日本人は特に、片付けに関して昔から良い習慣として漠然とやった方が良いに決まっている思い込んでいる。
昔から教室には整理整頓の文字が必ず有り、街には道路を町民全員で清掃する美化作業まである。
ただの慣習で、やる理由すらも思い浮かばない掃除に関して息子を説得することは無理だった。
療育しかない。
客間とは
先生:「リビングは誰のもの?」
息子:「家族みんなの物」
先生:「だよね、だから自分の持ち物は自分の部屋に持ち帰って、いつも綺麗にしておかないとダメだ よね?」
息子:それは、わかる」
先生:「じゃあ、客間は誰の物?お客さん?」
息子:「違う。家のみんなの物」
先生:「でもさ、使うのはお客様でしょ。いつ来るのか判らないけれど、使うからあるんだよね。突然来られるから、いつでもきちんと使ったら片付けておかないと使えないのはわかる?客間の意味がないの」
息子:「わかった。使ってないんじゃなくて使おうとしている所ってことね。」
理解の仕方
考え方が人それぞれ違うのは知っているし、家族のルールを認識するのに誤差があることも理解している。
けれど、息子の解釈は理解できなかった。
「使ってあげている」
息子の立場からしたらそう言う言葉が出てくるのも仕方ないのだと、療育後に理解した。
この事件(喧嘩)を境に、息子を一人の大人として扱うようになった。
成人男性と話すように。
そして療育後、彼は二度と客間にプラレールを広げることはなかった。
彼は、物を大切にし愛しむ。
「人間は苦手だ」
と言う息子は、相手からの感情を事柄に乗せるのを好まない。
例えば、猫はこちら側の解釈でしか会話出来ないし、物(機械)は話さない。
だから、一方通行で大切にできる。
猫と物は、自分との間にあるルールやスタンスを変えないからだ。
しかし、人はその日の気分によって同じ事柄でもやりたい様にやる。
そう言う付き合い方の基本的原則を感情で無視する人間を、苦手としているのだ。
息子は言う
「物の気持ちになって使いなさい」
※片付けられない物は持たない。片付け上手な娘は
「人間一人が持っていい物の量は決まっているし、仕まう場所にもキャパがある事を生まれながらに知っていた」と話す。
まとめ
- 片付けは効率的ではない、使うものは出しておく
- リビングは誰が片付けるのか問題
- 理解をすることで行動に移せた
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