授業参観後の親と先生の懇親会。
母親同士6人づつのグループになり、愛情とは何かについて話し合った。
子供達には、事前にアンケート用紙に答えてもらっていた。
親の与える愛情と子が欲しいと思う愛情は違った。
昔子供だった大人達は、全てを忘れたようだ。
親が与えたい愛情
子の成長を気にかける
進路を心配する
環境(交友関係)を整える
これら全て、親が子供に与えてる 愛 だと勘違いしている内容だと子供たちは言う。
言い換えると、子の外見を気に病む。
将来に口出しする。
環境(交友関係)を知りたがるになっていると。
親が不安に思う事柄を解決をしたいが為に、子供へアプローチする事は 「愛情」ではない。
「貴女の為を思って言ってるの」
この言葉をいつの時代も聞いて来た。
誰のための心配なのか?
子供が悩んだ時、果たして自分に相談してくれるのだろうか?
そう不安に思う親だとしたら理解できる。
自分が安心したいが為の心配だと言う事を、子供がお見通しだとお気付きだろうか。
子が思う愛情
親からしてもらって、嬉しかった愛情はなんですか?
子供たちの答えは明確だった。
「自分が病気のときに温かい物を作ってくれて、心配してくれた事が嬉しかった」
ピンチや、弱っている自分を感じとってくれている事自体が愛情だと彼らは言う。
とてもシンプルだけど見逃しやすい。
子供からの日常のサインをキチンと受け取っていないと、気づく事が出来ない内容だ。
また、一緒にゲームやキャンプをやってくれる時もそうだ。
親なしでは出来ない内容だと特に嬉しいと言っていた。
ただ、この時子供達は受け取った愛情に「楽しい」としか言わない。
愛を与えてくれてありがとうとは絶対に言わないのだ。
親が与えていると思っている愛情と子供が欲しい愛情にはとんでもない落差があった。
親から子へ
大昔の事を話すと
小学生の頃父が寒い冬の夜に起きて来て私達兄弟の布団がずれて、
寒い思いをしていないか確認し、掛け直してそっと部屋を出て行く後ろ姿に愛情を感じた。
バイト先でのおしゃべりが長引き、帰宅が夜10時を過ぎた。
叱られると思い、走って帰ると
アパートの出口付近まで様子を見に来ていた母親と偶然出くわした。
母は私を見ただけで、何も言わなかった。
お金も時間もかかっていないが、思い出す度心が温かくなる。
両親からもらった愛情はそのまま私の子供達へと受け継がれている。
まとめ
- 与えたい愛情ともらいた愛情は違う
- 子供の心身が弱っている時を見逃さない
- 自分が与えてもらった愛情を思い出す
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