味覚過敏だと親はわからなかった。
とにかく、何も食べない子だと思っていた。
息子は、丁度いい味覚過敏に自分を作り上げた。
自分の舌と脳を使い、身体に良い影響を及ぼす物を選ぶ事が出来る。
今では
新鮮かつ出来立てを食べると、脳と舌が
「美味しいを知る」
事になり、体が喜ぶ反応を日々体感している。
食べたく無い いらない
食事はいらないし欲しく無い、お腹も空いていない。
これが、何年続いただろう。
彼は、お茶と少しのご飯で生きること数年。
離乳食の延長の様な食事だった。
運動をさせたらお腹が空くから食べる様になるんじゃないかとか、お菓子なら食べてくれるんじゃないだろうかなどと試行錯誤した。
しかし、食べない。
その変わりお腹が空いて怒ったり、買ってくれと駄々も捏ねない。
体調はすこぶる良く、元気でいた。
小さい頃はピーマンが嫌いだとか聞くがそんなこともない代わりに、ピーマンに興味もなく好きでも嫌いでもない。
とにかく、食に全く無頓着な子供だった。
妹が産まれると
妹に離乳食をあげてもらう様になると、食べる事はいい事だと言う認識が息子に宿った。
お腹を空かせパクパク食べる妹に
「僕の分まで全部妹が食べちゃうんじゃないか」
そんな不安がよぎる。
それが、どんな物を妹が好み、どんな風に食べるかを観察する事が
食への関心となり食べるを脳で感じ、行動に移す様になった。
(食べる)から(食べてみる)に変化したのだ。
好き嫌い
食べないからと言って、嫌いな食べ物とは違う。
幼かった息子に嫌いな食べ物は無かった。
と言うより、食べられない物や身体が受け付けない物が無かった。
苦手なために、いつでも要らないと言っていたのだ。
この理解は、普通と違って
食べたくない物を嫌いと表現するが、それは違う。
大人になると、南国フルーツアレルギーでメロンやマンゴーは好きだが食べられなくなった。
「美味しい物ならなんでも食べる」
彼の言う美味しい物とは、鮮度が良く自然豊かな環境で育った上質な材料を使って出来た食事
の事で、それ以外は美味しいと思わないが定義。
だが、後々寮生活を送るよになると嫌いな食べ物が出て来た。
冷食だ。
添加物と言う敵
出汁の種類、メーカーの違う醤油、肉の経過数日と販売店の違いを言わなくても舌で感じていた息子。
彼は、高校から大学と7年に及ぶ冷凍食品のみの寮生活を送った。
お腹が減る苦しみと1日に大量の保存料を食す
気持ち悪さを天秤にかけ、
生命の危機を回避する大切さを学んだ。
食べないと死んでしまう。
お腹を満たす事は大切
勉強に集中はできないし、すぐ風邪をひく。
人生を設計するには、なんでも良いから食べて健康を維持しなければ。
そして、味覚過敏に打ち勝ち、冷食を食べた。
まとめ
- 味覚過敏の子でも環境で変わる。
- 食べる? 食べない?の選択に 食べてみる? を加える。
- 食べる事は生命の維持管理に大切と知る。
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